2010年9月から7ヶ月間。
私は楽園フィジーに英語留学をしました。
海外に行くのを月に行くのと同じくらい
ハードルの高いものだと思っていた私がなぜ海外留学に?
そしてなぜカナダやオーストラリアじゃなくフィジーなの?
と聞かれると、答えは「安かったから」。
当時はまだセブ島留学がそんなにポピュラーではなく、ただ調べていた中で一番安かったのがフィジーだったからフィジーにした、それだけでした。
これが私の人生を大きく突き動かすことになるのは、もうしばらくあとのお話‥
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人生の転機となったフィジー留学
今思えばこれが人生で一番の転機だったかもしれません。
それまで “ ふつうに ” “ なんとなく ” 生きてきた一人の女の子が
人生輝かせてやる!と心に決めた出来事でした。
大失恋という経験
実は今の旦那さんと出会う前、
このまま結婚するだろうと思っていた人がいました。
19歳から23歳まで、
お互いの実家にもよく遊びに行っていたし、
真剣に付き合っていると思っていました。
しかしその恋は、“二股”という名の裏切り行為で幕を閉じました。
その彼とは彼が大学生の時から大学院生になってからもお付き合いをしていて、
就職氷河期と呼ばれた辛い就活時期なども自分なりにサポートしていたつもりでした。
そんな彼が大手メーカーに就職が決まった途端、変わってしまった。
元々人気者といわれる部類の人間ではあったけど、
就活が終わるやいなや、いわゆるパリピに変身していきました。
彼は大手企業に就職が決まった大学院生。
二股をかけていた相手の女の子は同じ大学に通う大学生。
そして私は高卒で働いていた、フリーター。
高卒で働いていた私は彼らみたいにキラキラしたキャンパスライフを知らない。
高卒なので世界中の人達が知っているような大手企業に就職することもないだろう。
挙げ句の果てには二股をかけられ、さようなら。
人生で初めて学歴コンプレックスを感じたし、
今まで味わったことのなかった敗北感が心を支配していました。
‥‥‥悔しかった。
ある時、その悔しい思いが
「あいつら大学生なんかよりももっと素晴らしい人生送ってやる!」
というモチベーションに変わりました。
そのモチベーションが、
ずっと心の奥底で興味のあった英語留学への一歩を踏み出すきっかけとなったのです。
正直にいえばこの時のモチベーションは英語を学びたいというよりも、
「日本から逃げたい」だったり
「元彼や浮気相手が経験していないような素晴らしい経験がしたい!」
というのが大きかったのですが‥。
どんな理由でもいい。早く海外に行きたかった。
平日の昼間は医薬品会社で働き、
仕事終わりや土日にバイトをかけもちして、留学資金を貯めました。
私を突き動かしたのは、見返してやる!という気持ちだけでした。
仕事をかけもちし頑張ってお金を貯め、
一刻も早く元彼のいる富山から逃げ出したかった私は
(情けない話ですが)足りない分を母に援助してもらいついにフィジー留学に行けることになったのです。
新しい自分と初めての出会い
月に行くのと同じくらい海外がハードルの高いものだと思っていた私が、
ついに一人で海外へ。
富山から夜行バスに乗り名古屋へ。
名古屋から一人で飛行機に乗って香港へ。
英語もわからないまま一人でトランジットを経験。
そして香港からフィジーへ。
フィジーに着いたら一人で空港からタクシーに乗り予約していたホテルへ。
本当にぜーんぶひとりで(;;)
人生最大の冒険でした。
ホテルに着くまでずーっと心臓がドキドキ。
でも一人でできたことに、大きな達成感を味わいました!
そしてドキドキとともに始まったフィジー留学は、毎日が衝撃の連続。
- 窓のないバス
- 毎晩行われるカヴァタイム
- 「シェアして助け合うこと」を意味するケレケレという文化
- 洗濯に出した洋服を次の日ホストファミリーが勝手に着てる
- 街にひとつだけある自動販売機はお金を入れてもドリンクが出てこず誰かの貯金箱化
日本ではありえないことの数々。伝説級の逸話がフィジーでは日常茶飯事でした。
笑顔の絶えないフィジー人。
「毎朝学校に着くまでに何人の人と笑顔で挨拶ができるかな?」
と数えるのが通学時間の日課になっていきました。
幸福度ランキング世界1位のフィジーの異文化がとっても刺激的だった。
それまでなんとなく1日をやり過ごして生きてきた私にとって、1日1日がこんなに長く感じたのは初めてのことでした。
▷▷世界一人懐っこいフィジーの子供たち
そして生まれて初めて、
勉強することの楽しさも知りました。
それまで小中高と一切の勉強をしてこなかった私。
部活の練習も真剣にしてこなかった私。
高校では遊びに走り中途半端にダンス部を退部した私。
継続の大切さを知らなかった。
努力することを知らなかった。
そんな自分が、英語にはハマった!っっっっwっっっっw
ww日本語を話しちゃいけない校内ルールは最後まで守り抜き、追加料金のかかるTOEICコースも受講。
授業についていくのに必死だったのでホームステイ先に帰ると真っ先に予習復習もしたり
とにかく必死にしがみついていきました。
その甲斐あって、
英語中学2年レベルだった自分が、
上から2番目の難しいクラスから卒業することができたのです。
努力ができる自分との生まれてはじめての出会いでした。
なんだ、自分だってやればできるんじゃん!
ちゃんと頑張れる人じゃん!
英語ができていくにつれ自信がどんどんみなぎっていきました。
それは努力をしていることを自分自身が一番知っていたからこその自信だったのだと思います。
フィジー留学時、私は人生最大のデブ期とともに、人生最大のモテ期を迎えていました。
それは男性からではなく、女子から。
なぜだかわからないけれど、かっこいい、憧れる、との言葉を度々もらったのです。
太った外見は関係なく、
英語を頑張れる自分に自信を持つことができたことによって、
内面から何かキラキラしたものを放っていたのかもしれません。
人生観を変えてくれたフィジー留学
勉強することの楽しさを知り、
ありえないような異文化に驚愕する日々。
しかし、フィジー留学で一番大きな収穫だったのは、学校の仲間たちとの出会い。
今までに出会ったことのなかった刺激的な人たちとの出会いがわたしの脳内を覚醒させました ! !
北は北海道から南は宮古島まで。
若い子は17歳から上は60代まで。
学生もいれば、サラリーマン、看護師、
周遊船でボランティしていた人や、
沖縄民謡歌手、それに世界一周で100か国を旅した人など。
地元にいたままじゃ絶対に知り合うことのなかったような人たちとの出会いに、
心のワクワクが止まりませんでした ! !
富山のただの田舎娘だった私は、
好きな人と結婚して子供を授かって、
一軒家を立てて、家族仲良く暮らしていくという幸せの形しか知りませんでした。
日本一真面目で誠実な県民性の
富山では、正社員として仕事を全うし家を建ててやっと一人前。
わたしもそう思っていた。
でも、正直自分にはそんな運命は待っていないような気がして、いつも不安だった。
フィジーに行って、
今まで自分が暮らしてきた世界がいかに狭いものだったかというのを目の当たりにしました。
私が今まで“当たり前”だと思っていたことは当たり前なんかじゃなかった!
人生ってもっと色んな形があって、幸せにも色んな形があって
もっと自由でいいんだ!!
いつしかそう思うようになっていました。
フィジー留学にいったことでわたしの中の価値観は大きく変わりました。
フィジー留学で生涯の伴侶となる人との出会いもありました。
勇気を出して日本から一歩足を踏み出しただけで、わたしの中のセカイが大きく変わりはじめました。
あの失恋でわたしは精神的にすっごく辛い思いをし、どん底まで落ちました。
だからこそステップアップすることができたのかなと今では思います。
今思うと二股をかけて、あんな悔しい思いさせてくれてありがとう、と感謝さえしています!
あの経験がなければ、
今でも私は変わらず自分の人生を自分のものとして考えることのできない、
からっぽ人間のままだったはずですから。
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ユキさん、辛かっただろうけど、そんなおバカな不誠実な人間と別れる事ができて、良かったですね!!
そしてフィジー留学♪ とってもステキな経験が出来て、ノリさんとも出会えて、前向きに生きる事ができて、なんとモテモテ(女子に)になって、最高の時間だったんですねぇ~♪
ブンタカさん
コメントありがとうございます(*^^*)
私にも悪いところがあったのも事実なので悪くは言えないのですが、でも本当にありがとう!という感じです。笑
一番はやはりのりと出会えたことが大きかったです(*^^*)
フィジー留学に行ってよかったなぁってブログを書きながらしみじみとしてしまいました♩♩